日系イギリス人のカズオ・イシグロさんがノーベル文学賞を受賞なさいました。
私は10代の頃からカズオ・イシグロさんの小説を愛読しています。
流行りに乗るようで気恥ずかしい思いもあるのですが、
私がカズオ・イシグロさんの小説を読むようになったきっかけについて
少し書かせていただければと思います。
カズオ・イシグロさんの事は、当時通っていた大学の教授が教えてくださいました。
最初の数ページで、これは原書で読まなくてはいけない本だと強く感じたのです。
手にとっていただくとわかるのですが、比較的平易な英語で、
そしてカンマで文章がつながれていく。流れるような独特の手法。
この世界観はオリジナルの文章でなければ味わう事が出来ないですし、
何しろ作者との対話も出来ません。たとえ翻訳がどんなに優れていようとも、
翻訳者のフィルターが通った状態では、作者はここで何が言いたいんだろう?
何を伝えたいんだろう?と考えたところで、作者の思いに到達する事など
到底出来ないだろうと感じたのです。
当時の英語力ではそれなりに時間を要したのですが、少し読んでは噛みしめるように味わって。
大学生になったばかりの私は英国の執事という職業の意味するところを知らず、
たびたび出て来る忠誠心とやらにある種の反発に似た感情を持ちながら読み進めました。
そのうち私の心に心境の変化があらわれ、そして最後には、
The Remains of the Dayというタイトルの意味を知る事になったのです。
詳細に触れるのは野暮なので致しませんが、何しろ読後感が凄い。
普段の生活では味わう事が滅多にない、胸がキュッと締め付けられるような気持ち。
そして読んだ後も、深く深くそのことについて思いを馳せる。
素晴らしい本です。
ノーベル賞をとられる少し前のインタビューで、カズオ・イシグロさんが、
”ノンフィクションは人が亡くなったという事実を伝える事は出来るが、
愛するものを失った苦しみや悲しみは伝えられない。
それはフィクションでなければ出来ないのだ。
事実のみに基づいたものだけでは語り切れないものがある。
何かについて議論したい訳でもない。
フィクションの価値はそこに重要な真実が含まれていると悟ることにある。”
とおっしゃっていました(意訳)。
思えば、人生のどの時期に誰と出会い、そして何を感じ、何を話すのか。
それは人の一生に大きな影響を与えます。
今回のノーベル文学賞受賞をきっかけに、
またこうしてThe Remains of the Dayを手にとる事になりました。
今の私は何を感じるのか、ちょっと緊張しながら読んでいます。
皆様も是非。原書で。
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